瓶具黒墨のCDは玉石混交

ビング・クロスビーのCDコレクションを整理を兼ねてアップしています

【雑感】コレクションについて

先日(9月22日祝日)の加古川市民会館での荒俣宏先生の講演会に備えて、昔の雑誌で予習していると、こんな記述にぶつかりました。

立花隆氏との対談から
「外国から本を買うと、十冊のうち六冊ほどどぶに捨てようかと思うような本です。(略)極力広い範囲に網をかけていいものを選らぼうとしますから、無駄を排除しないという理論になる。無駄も身のうち。このこと自体がまさに”数”の博物学だったのですが・・・」(P.11)

このブログをするにあたって、無駄だな~と思って買ってた同じ内容のCDを何回も聴いているとなんだか色々なことを調べて色々と面白くなってきます。
講演会でも話されていましたが、知的好奇心が刺激されます。


次は博物学書に関する記述から
「コレクションはどこまで行っても、シシュポスの神話でしかない。それなりの数を集めるまでは節制努力。ようやくここまで積み上げたかと思えば、今度は手もとに無い名品が気になり始める。」(P.73)

今年初めに買った”CHRONOLOGICAL BING CROSBY”は正にこれだな~

イメージ 1

収録されているのは、太陽 1991年11月号
あ~25年前なんだ

サインは、平成25年9月15日に境港で開かれた
「お化け大学校 秋季集中講座2013」第2教室の講義後
楽屋に突撃していただいたもの

感涙ものでした



【H29.10.9追記】
『稀書自慢 紙の極楽』(1991年9月 中央公論社刊)を読み返していると
同じような記述が出てきたので、覚え書き

第12章 熱い本に励まされて の冒頭(P.190)
「だいたい、コレクションなる行為は、マゾヒストのすることなのである。それなりの数をあつめるまでは節制努力。ようやくここまで積み上げたかと思えば、こんどは手もとにない名品が気になりだし、無力感にうちひしがれる。
 コレクションは、どこまで行っても、シシュポスの神話でしかない。
 だがその一方、あつめた古本をパラパラと眺めているうち、熱っぽい筆者の肉声が聞こえてきて、ついつい耳をかたむけてしまう。」